8月5日、運転免許更新のため、台東区の下谷警察署にきた。
この夏一番の暑さであったが、自転車だったので終了後、そばを通る国道4号(昭和通り、日光街道)を千住のほうに走ってみる。
三ノ輪交差点で浅草からの国際通りと合流。
すぐに明治通りと直交する。
2021‐08‐05 10:40 大関横丁交差点
(地下鉄三ノ輪駅もあるし、ずっとここが三ノ輪交差点だと思っていた)
あしたのジョーの泪橋や山谷は、この交差点から明治通りを右に行ったほうにある。
江戸時代の日光街道は、4号すなわちこの道ではなく、その泪橋交差点から北へ、南千住駅を通る東のほうの道路である。
10:41
国道4号はすぐ常磐線をくぐる。
旧日光街道はこの先、千住大橋の手前で右から合流する。
10:43
常磐線が明治通を越える橋は、陸橋には珍しいアーチ橋。
道路と斜めなので支間長を広げるためだろう。
10:47
明治通りダイソーの角から横町に入り常磐線をくぐる。
何の変哲もない細い路地なのに、スーパー(右)と、昔ながらの喫茶店「オレンジ」、散髪、和菓子の伊勢屋、カフェバル・マサト。近所の住民だけしか知らないような店なのに、今どき営業できるというのは不思議だ。このあたり、大通りにも住宅街にも、商店が非常に多い。店がなく年寄りがひっそり暮らす住宅ばかりの文京区と違って活気がある。
10:48
小さな社があった。消えかかった貼り紙は、
「このお稲荷さんを壊すと目が見えなくなり口がきけなくなります」
懐かしいほど素朴な注意書き。ここは令和の東京か?
参道は道路側からではなく、奥のアパート?簡易宿泊所?のほうから伸びている。
境内のような敷地の奥に極楽荘。
「空室あります~1200円」
草を雑にとっている人がいたが、すぐいなくなられたので写真を撮らせてもらった。
そっと覗くと玄関に観音様があった。
神社と向かい合っている。
気になって「極楽荘」を帰宅後調べたら、足立区にあった別の極楽荘の立ち退き交渉物語がでてきた。ここと同じような古いアパートのようであったが、関連あるかは不明。
10:50
このあたり密集住宅ばかりと思っていたが、緑もある。
10:52 三ノ輪橋駅
王子や大塚でよくみる都電荒川線は、ずっと伸びていて終点はここだった。
他の路線につながるわけではなく、住宅街の真ん中で止まっている、住民密着型。
雑司ヶ谷や大塚の乗客は一度も来たことがないのではないか?
ふつう用事がないからね。
三ノ輪駅は近くにある日比谷線の駅。ここは三ノ輪「橋」駅である。
しかし橋も川もない。
三ノ輪橋というのは、かつて石神井用水(音無川)にかかっていた橋。
この用水は、石神井川を王子でせき止め、JRの東側に沿って田端、日暮里と南下、根岸で台東区と荒川区の境を流れ北東にむかった。(根岸の羽二重団子の向かい、善性寺の門前にも橋の跡があることは以前書いた)
川は、三ノ輪の常磐線のガード(ダイソーから入るガードと日光街道ガードの間のガードの南)で二つに分かれ、一つは石浜川として北東に流れ、もう一つは両区の境を東に流れた。すなわち明治通りの泪橋はこの東に向かった音無川の橋。いまはすべて暗渠。
10:52
三ノ輪橋駅からすぐ、石浜川暗渠でもある道はアーケードに入っていく。
ジョイフル三ノ輪と書いてある。聞いたことあるぞ。
中は曲がりくねった道。
平地で曲がっていたらたいてい暗渠。
10:53
進むと左にアーケードがまっすぐ伸びていた。
こちらが本通りのようだ。
かつては南千住銀座と呼ばれていたらしい。
このあたりの住宅地は地元密着型の小さな食堂、店舗が多い。荒川区民は外食、買い物すなわち消費活動が旺盛なのだろうか。
国道というのは、だだっ広い通りを住民と関係ない車が行き交うから荒川区の特徴があまりない。道路端も全国同じようなビルが並ぶ。
小さな道をじっくり見るほうがその土地と人間らしさが見えて面白いのだが、免許更新の帰り道なので、ぶらぶらせず幹線道路で家路を急ぐ。
国道沿いの円通寺に上野戦争の遺構、黒門が見えたので自転車を止め、何枚か写真を撮った。
(別ブログにかく)
国道は千住間道という広い道と交差、そこを左折、かつて存在した東京球場の跡地や荒川区役所に立ち寄った。
(別ブログ)
帰宅すると腕は真っ赤に焼けていた。
2021-09-12 追記
墨田区向島方面に自転車で行く途中、立ち寄ったので写真を追加。
2021‐09‐11 15:09
ジョイフル三ノ輪商店街
15:10
安普請の中に石造りの蔵(写真左)
突き当りは三ノ輪橋駅のホーム。シャッター押す前に電車が見えた。
15:11
さくらトラムと名前を変えたが、やはり都電荒川線のほうが似合う。
ホームが生活道路になっている。
終点だからスイッチバックで折り返す。
右の下見板張りはトイレ。
15:15
三ノ輪橋駅から国道4号に抜けるトンネルは梅沢写真館。
ここは2017年に円通寺に行くとき通っているが、気づかなかった。
自転車だと見落としもある。
写真館というのは古い洋館が多く、ここもそうかと思ったが、違った。この建物は、戦前、都電荒川線の前身となる路面電車を経営していた会社、王子電気軌道の本社ビルだった。今でも王電ビルと呼ぶ人もいるらしい。
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