今度の3月で定年退職。
先月末、学部長に改まった調子で、話があると言われた。
半分予想していた不吉な予感で部屋にいると、来室され
「規定通り、来年3月までということで・・・退職です」と正式に伝えられた。
当然のことなのにわざわざ言われるのは、65歳過ぎても残る人が多いからである。
昨年は教授6人が65歳を迎えたが、3人が地位、待遇はそのままで残り、二人は非常勤講師となり、完全にやめたのは一人だけだった。
教授として残れず非常勤講師になったX先生は突然言われたと文句を言っていたが、今年も講義を受け持ち、いろんなところで顔を出して活躍している。
私はあまり貢献しなかったから、今年で終わりかもしれないとは思っていた。
講義は前期1コマ、後期2コマのみ。広報委員長は2年前に首になり、薬学体験学習委員長も引き継ぎが大事ということで今年は副委員長になって委員会の仕事もほとんどなかった。
貢献しなかったのは認めるから退職にまったく異論はない。
しかし大学が私をこれほどまで役に立たないと見ていたことに申し訳ない気持ちになった。
講義については、教科書に書いてあることをそのまま読んでもつまらないと思い、書かれていないことを一生懸命(できるだけ広範囲に、興味を引くように)しゃべった。しかし真面目な学生は国家試験用テキストを暗記することこそ勉強と思っていて、私が薦めた「覚えるのでなく、広く、かつ深く掘ろうとする勉強」は無用だと思っていたふしがある。大学で学ぶ者に「学問の面白さ」を伝えられなかった。力不足というよりミスマッチという気がする。
ま、過ぎたことは仕方がない。
4月からどうしよう。
家に居てテレビをみて食事を待つだけの生活は嫌だな。
仕事を探そう。
大学、学生を満足させられなかったのはやはり力不足を認めねばならないだろう。
林修先生も言っている。「相手の期待以上のものを出せなければ負け」。
私は期待通りですらなく、平均以下、期待以下だったのだから。
ここは潔く、もう、教育、薬学・化学関連の仕事はやめようと思った。
すなわちキャリアを捨てれば期待もされない。
素人としての舞台で期待以上のパフォーマンスをする。
自分の強みは何だろう?
ダンス?
しかしコロナの影響もあり、有名な教室のプロの先生も公民館のサークル指導やダンスパブで出稼ぎされている。
ダンスというのは相性で、私のようなレベルでも競技選手でなければ指導もできる。もちろんパブなどでスタッフとして踊るのに問題ない技量はある。しかし、明らかにレベルが違うプロの先生と同じ土俵に行くのはおこがましい。
翻訳?
よくあるのは特許などの技術翻訳である。私の強みは専門知識に基づいた、読みやすい、わかりやすい日本語だが、特許などの日本文はもともと(わざと?)分かりにくい文章である。あのレベルならグーグル翻訳でも足りると思う。それに1日家に閉じこもる仕事は嫌だ。
ふと、浦和の妹の夫が高校の地学教員を定年後、博物館の仕事を探していたことを思い出した。定年後の職探しに何かヒントがもらえるかもしれない。
持病を持つ彼はコロナですっかり家に閉じこもっている。久しぶりに話してみると、とりあえずハローワークに行ってみたら、とアドバイスされた。
ハローワークの愛称は1990年から使われているらしい。
職安、職業安定所というと、失業という、どこか暗いイメージがある。幸い今まで世話にならずに済んできたが、一度は行ってみるべきかもしれない。
2021‐12‐13
千代田区・中央区・文京区を管轄するのはハローワーク飯田橋。
飯田橋というから千代田区のほうかと思ったら、文京区にあった。
確かに橋の北詰めではある。
家から自転車で20分、小石川後楽園の西の塀に沿って南下し、外堀通りとの角にある。
一階は企業が来る求人部門、二階は我々が行く求職部門、と別れている。
失業給付、教育訓練給付などもここのようだ。
階段で二階に上がる。
求人票が貼ってある。この手作り感が昭和の職安ぽい。
45年前、学生課でアルバイトを探したことを思い出した。
しかし、ここハローワーク飯田橋は、求人取扱い件数全国ナンバーワン。
事務系求人は東京全体の4分の1が飯田橋に集まるという。
と言っても全国から応募できるのだからその数字に意味あるの?
二階は高い間仕切りのブースが並ぶ。
写真左は個人相談ブース。
写真右側の奥にパソコンコーナーがあり、自分で求人情報を検索できる。
家でも検索できるが、ここなら質問もでき、印刷も無料、紹介状もすぐ出してもらえる。
平日夕方だったこともあり、ほとんど待ち時間なくブースに案内された。
窓口で相談に乗ってくれたのはKさんという60代前半くらいの人。
家で個人ページを作り必要情報を入れてきたので話はスムーズ。
まず希望する勤務地を聞かれたが、答えられない。
仕事が魅力的なら単身赴任、関西でも海外でもいいし、スーパーの商品陳列なら家のそばでなくては嫌だ。時給など希望する待遇も聞かれたが答えにくい。面白ければタダでもいいし、つまらなければ高いほうがいい。
じゃ、どんな仕事がいいですかと聞かれても漠然としている。
今までのキャリアと関係なくてもいい、というと「あ、それもいいですね」と笑顔で賛成してもらえた。
しかし何も手掛かりがないと彼も動きようがない。
「博物館などの学芸員にあこがれているのですが、経験もないし、そもそも募集もないですよね?」
「いえいえ、なんでも希望することです」
とようやく彼は画面に向かって何か打ち込み始めた。
身の程知らずに学芸員といったことを打ち消すために
「造園とか農業にも興味があります」
「何か資格がありますか?」
「ありません。こんなんじゃだめでしょうか」
「いえいえ、いいです。じゃ、植木職見習いで探しましょうか」
「図書館で調査するのも興味があります」
「司書の資格はありますか?」
「ありません。ないとだめですか」
「今から資格を取るという手もあります。私も取ったんです」
と、彼は得意そうに胸の名札をアピールした。キャリアコンサルタントとある。
「そうだ、家で「司書、その他専門職」というカテゴリーで検索したとき、司書などの仕事のほかに探偵会社がヒットしたんですが、少し興味があります」。
ほんとは大いに興味があった。
「確か豊島区のほうの会社でした。」
というと彼は検索し始めたが見つからない。
「アルファベット二文字だったような・・・・」それでも見つからない。
すると隣のブースの女性職員が客がいなかったのか、我々の話をこっそり聞いていたらしい。その探偵会社の求人情報をプリントアウトしてくれた。
「ああ、なるほどね。・・・張り込みとか尾行とか大変ですけど、ほんとに応募するんですか?」
彼は念を押し、紹介状を印刷してくれた。
そのあと、履歴書、職務経歴書の書き方といったパンフレットをくれ、
「また、何度も来てください」
と笑顔で仰った。
階段を降りる前にもう一度、求人票をみた。
風が冷たかった。
ラクーアの交差点で信号待ちしながら、大勢の人が行きかうのを眺めた。
彼らはどんな仕事をしているのだろう?
でも私は彼らのように若くないからな・・・・
区役所を過ぎ白山通りに出る。
日は落ち寒くなってきたけれど、一歩を踏み出した気がして、なんかわくわくしてきた。
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