2017年8月22日火曜日

1977年の長雨記録とピンクレディー

今年の東京は8月に入って連続21日雨が降ったという。
お盆あたりから長雨がニュースになり始めた。
過去の記録は40年前、1977年8月の連続22日、ということが連日テレビで言われた。
初めて知った。

おかげで思い出した。
1977年の夏。
確かに雨ばかりだった。
今まで61年も生きて、ほかの年は覚えていないのに、1977年だけなぜ夏の天気を覚えているかというと、夏休みにすることがなく、確かに雨の中、歩いて2分(200m)の本駒込図書館へ通っていたからだ。

本駒込に住んでいたのは、1977年4月から12月までわずか9か月。
駒場寮を出て初めて一人で暮らし、初めて自炊した日々であった。
その後3年3か月過ごした谷中時代とあわせ、その思い出は、56歳になって、不可能とも思えた、埼玉から文京区千駄木への引っ越しの原動力となった。

1977年8月、大学3年。
長野に帰って高校の剣道部の合宿に顔を出したら、マネージャーがかわいかった。
チームはお盆の14日に松本の県大会に出るというので、やはり合宿に来ていた元同級生の由井克之を誘って応援に行った。
その晩は彼の信大医学部の芙岳寮に泊めてもらい、翌15日東京に戻った。松本からは実家の信州中野に戻るより東京に出るほうが簡単だったからだ。
 マネージャーは4歳下、NYさんといった。
写真を送るから、と住所を聞いてきたので、さっそく送ったが、まったく発展しなかった。
(すっかり忘れていたのだが、昔の手紙の束を探したら、彼女の礼状があった。次の新年会にでも出れば違った展開になったかもしれないが・・・)

とにかく、下心から、全く興味のなかった後輩たちの試合を無理して見に行ったおかげで、予定より早く帰京し、いつもより長い夏を過ごすことになった。

3年生というのは休み明けに大した試験もなく、学校の勉強をする必要がない。研究室にも配属されていないし、アパートに電話がなく友人にも会えない。暇で暇で、全くやることがなかったので、文庫本をもって近くの六義園に行ったり(当時は入場無料)、本駒込図書館で本を読んだりした。

バイトとか旅行とか、もう少しうまい時間の使い方がなかったのか、とも思うが、今の性格の一部は、この夏休み後半の、雨降り、部屋引きこもりの退屈な時間で作られたような気がする。
図書館から帰るとき、土砂降りの中を走ったこともあった。
連続雨天の新記録の年だったとは、40年間知らなかったが・・・・

図書館では、あのころは司馬遼太郎も吉村昭も興味がなく、『偶然と必然』とか『自然界における左と右』とか、科学哲学みたいな本を読んでいた。恋愛小説やまんがも読んだ。

1977年12月号

そして、本に飽きると、部屋でギターを弾いて歌っていた。
さだまさし、チューリップ、かぐや姫、荒井由実、中島みゆき、井上陽水、
窓の外は雨。
このころ月刊平凡、月刊明星を買っていた。歌本が欲しかっただけなので、新曲の出るサイクルにあわせ3か月に一回だけだったが。
1977年2月、5月、12月号付録

1978年、79年はいっぱいある。
大事に40年も保管してきたけど、私が死んだら捨てられちゃうんだろうな。
誰でも、60の爺さんでも、若いころはあったのである。


1977年の二葉荘、4畳半の部屋には、ピンクレディーのポスターと、長野県地図のカレンダーが貼ってあった。
引っ越しでピンクレディーは捨てたが、この長野県カレンダーは、その後、額縁に入れ、32年間埼玉を転々とし、
そして、とうとう元貼ってあった場所、本駒込5丁目のとなり、千駄木にもってきた。
カレンダーに心があるなら戻ってきて喜んでくれるだろうか。

今見ると、1977年8月14日は日曜である。
松本は曇りだったが東京は雨だったのだろう。



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